あきになりて右兵衛のとねりなるもの
ひむがしの七条にすみけるがつかさに
まいりてよふけていゑにかへるとて応天門
のまへをわたりければらうのわきに
かくれたちてみるにはしよりかゝぐり
をるゝものゝありみれば伴大納言
なりつぎにこなるものをるまたつぎに
ざうしきときよといふものをるなにわざ
するにかあらむとつゆこゝろもえでこの
三人のひとをりはつるまゝにはしること
かりなしみなみの朱雀門ざまにはしり
ていぬればこのとねりもいへざまに
いくほどに二條ほりかはのほどいくに
うちのかたにひありとてのゝしるみか
へりてみればおほうちのかたと見ゆ
はしりかへりたればかみのこしの
なからばかりもえたるなりけりこのあり
つるひとゞもはこのひつくとてのぼりたる
なりけりとこゝろえてあれどもひとの
きはめたるだいじなればあへてくち
よりほかにいださずそのゝのひだりの
おとゞのしたまへることゝてつみかぶり
たまふべしといひのゝしればしたる
ひとはあるものをいみじきことかなと
おもへどもいひいだすべきことならねば
いとをしとおもひありくにつみなしと
てゆるされぬときけばつみなきことは
まことにておはするものなりけれとな
むおもひけるかくて九月ばかりになりぬ
かゝるほどにばん大納言の出納のとなり
にあるがことこのとねりのわらはといさか
いをしてなきのゝしればいでゝさへむ
とするにこの出納もおなじくいでゝさふ
とみるによりてとりはなちてわがこを
ばいへにいれてこのとねりのこのかみを
とりてうちふせてしぬばかりふむ
とねりのおもふやうわがこもひとの
こもともにわらはべいさかひなりたゝ
さではあらでわがこをしもかくな
さけなくふむはいとあやしきことな
とはらだゝしくまうとはいかでさえ
にはさえでおさなきものをばかくは
するぞとゝへば出納のいふやうおれ
はなにごといふぞとねりだつがおれば
かりのおほやけびとはわがうちたら
むになにごとのあるべきぞわがきみ
の大納言どのおはしまさばいみじ
きあやまちをしたりともなにごとの
いでくべきぞしれごとするかたいかな
といふにとねりおほきにはらた
ちておれはなにごといふぞいがし
うの大納言をかうけとおもふか
いがしうはわがくちによりてひと
にてもおはするとはしらぬかく
ちあけてはいがしうはひとに
もありなんやといひければ出納は
はらたちていゑへはいりにけり
【読み下し】
秋になりて、右兵衛の舎人なるもの、
東の七条に住みけるが、官に
まいりて、夜耽けて、家に帰へるとて、応天門
の前を渡りければ、楼の脇に
隠れ立ちてみるに、階よりかゝぐり
降るゝものゝあり。見れば、伴大納言
なり。つぎに子なるもの降る。またつぎに
雑色ときよといふもの降る。なに業
するにかあらむと、つゆ心も得で、この
三人のひと降りはつるまゝに、走ること
限りなし。南の朱雀門ざまに走り
て出ぬれば、この舎人も家ざまに
行くほどに、二條堀川のほど行くに、
内裏のかたに火あり、とて罵る。見返
りて見れば、大内のかたと見ゆ。
走り帰りたれば、上の層の
半ばかり燃えたるなりけり。このあり
つる人どもは、この火点くとて登りたる
なりけりと、心得てあれども、人の
きはめたる大事なれば、あへて口
より外に出さず。その後、左の
大臣のしたまへることゝて「罪被り
たまふべし」といひ罵しれば、「したる
人はあるものを、いみじきことかな」と
思へども、いひ出すべきことならねば、
いとをしと思ひありくに、「罪なしと
て赦されぬ」と聞けば、罪なきことは
まことにておはするものなりけれ、とな
む思ひける。かくて九月ばかりになりぬ。
かゝるほどに、伴大納言の出納の隣
にあるが子と、この舎人の童と諍
いをして、泣き罵しれば、出でゝ遮へむ
とするに、この出納も、おなじく出でゝ障ふ
とみるに、寄りてとり放ちて、わが子を
ば家に入れて、この舎人の子の髪を
取りて、うち伏せて、死ぬばかり踏む。
舎人の思ふやう、わが子も人の
子も、ともに童部諍かひなり。たゝ
さではあらで、わが子をしもかく情
なく踏むは、いとあやしきことな
と、腹立たしく「まうとは、いかで障え
には障えで、幼なきものをば、かくは
するぞ」と問へば、出納のいふやう、「おれ
はなにごといふぞ。舎人達が、おれば
かりの公人は、わがうちたら
むに、なにごとのあるべきぞ。わが君
の大納言殿おはしまさば、いみじ
き過ちをしたりとも、なにごとの
出でくべきぞ。痴れごとするかたいかな」
といふに、舎人おほきに腹立
ちて、「おれはなにごと言ふぞ。汝が主
の大納言を高家と思ふか。
汝が主はわが口によりて、ひと
にてもおはするとは知らぬか。口
開けては、汝が主は人に
もありなんや」といひければ、出納は
腹立ちて、家へ入りにけり。