絵巻詞書集

 絵師草紙
第三段

第二段→ 


さてしもあるべきならねば興
行の沙汰おもひたちて法勝
寺の弁の宿所にまかりむか
ひてことのよしをいひければ
此所すでに寺家に付らるよし
こたふるあひだ東西にまどひ
て馳かへりけるが折節絵の事
ども奉行し給て便よく侍り
ければ当寺の上卿の第にま
いりて御所さまの御哀憐の
ほかはたのむかたなき身のあり
さまを申入ける事どもは
先院わたらせ給ざる後は
朝恩も侍らず又本自わたく
しの領とて針をたつる所も
知行なし只古絵本旧記
などをぞ家につたえ侍るされば
あけくれ顔子一箪の食
しのびがたく原生百結の衣
はづるにたりぬべしこの思ひ
少年のむかしより強仕のいま
にをよぶまでねてもさめても
やすむ事なししかれども稽
古日をかさね奉公年をへぬる
うへ旧院他に異に召仕侍りし
かば君もいかでかすてさせ給ふ
べきに適の朝恩ゆえなくめされ
ぬる事面目をうしなうのみに
あらず且は宮古にあとをと
がたく侍りさせるつみなき
身の沈はてなばすでに一流の
滅亡となりなんこそ不便なれど
まめやかに悲涙をながしつ
申ければ上卿いそぎ奏給け
る勅答にはあはれみおぼしめされ
けるにや本の伊州を還給べき
よしうけ給るこそ先畏おぼえしが
其時重て申入けるは此所あま
りにはるかなるうへ又興行の
沙汰も身のちからなくては道ゆき
がたきあひだ当時此地に命をか
けて奉公しがたく侍りをなじくは
いますこしちかき小所に立替て
下されなんやとてさもありぬべき
所々あまたしるしてまいらせければ
御案あるべしとばかりうけ給はり
てすぎにし秋のすへつかたより
春もすでになかばになりぬるにや
愁の涙も猶いろそふ心地すれば
しづみはてぬるにこそと心ぼそき
に栄花なき身に盛者
必衰もしられ又妻子珍宝も
この世のちの世のともにあらずとき
かば心つよくもおもひなりてさても
はつべきならばあらまほしくて
かまえて三密の法水をくみて
鎮に五智のいたきに灌べし
とて一人の子をば真言修行の
霊場をたづねてつかはしをきぬ
さるほどにうかりし年はくれて
あらたまの春にもなりぬれば
いよ/\風もをりしり浪も時
ありてをさまれる御代はゆく
すへひさしくさかゆる国のすめ
るうらみをひとりのこすべきに
あらねば身づから鳥のあとを
つげつかすかに思ふころを
のぶといへども我道のわざなれば
まことのありさまを後素に
あらはして同もらし申す
なるへし

【読み下し】
さてしもあるべきならねば、興
行の沙汰思ひたちて、法勝
寺の弁の宿所に罷り向か
ひて、ことの由を言ひければ
此所すでに寺家に付らる由、
答ふる間、東西に惑ひ
て馳帰りけるが、折節絵の事
ども奉行し給て、便よく侍り
ければ、当寺の上卿の第に参
りて、御所さまの御哀憐の
ほかは頼むかたなき身のあり
さまを申入ける事どもは、
先院わたらせ給ざる後は、
朝恩も侍らず。又本自わたく
しの領とて、針を立つる所も
知行なし。只古絵本旧記
などをぞ家に伝え侍る。されば
明け暮れ顔子一箪の食
忍びがたく、原生百結の衣
恥るに足りぬべし。この思ひ
少年の昔より強仕の今
に及ぶまで、寝ても醒めても
休む事なし。しかれども稽
古日を重ね、奉公年を経ぬる
うへ、旧院他に異に召仕侍りし
かば、君もいかでか捨てさせ給ふ
べきに、適の朝恩故なく召され
ぬる事、面目を失うのみに
あらず。且は宮古にあとを留め
がたく侍り。させる罪なき
身の沈はてなば、すでに一流の
滅亡となりなんこそ不便なれど、
まめやかに悲涙を流しつ
申ければ、上卿急ぎ奏給け
る。勅答には、哀れみ覚しめされ
けるにや、本の伊州を還給べき
よしうけ給るこそ、先畏おぼえしが、
其時、重て申入けるは、此所あま
りに遥かなるうへ、又興行の
沙汰も身の力なくては、道ゆき
がたき間、当時此地に命をか
けて奉公しがたく侍り。同じくは
いますこし近き小所に立替て
下されなんやとて、さもありぬべき
所々数多記して参らせければ、
御案あるべしとばかりうけ給はり
て、過ぎにし秋の末つかたより
春もすでに半ばになりぬるにや、
愁の涙も猶色添ふ心地すれば、
沈み果てぬるにこそと心細き
に、栄花なき身に盛者
必衰も知られ、又妻子珍宝も
この世、後の世の伴にあらずと聞きし
かば、心強くも思ひなりて、さても
果つべきならばあらまほしくて、
構えて三密の法水を汲みて、
鎮に五智のいたきに灌べし
とて、一人の子をば真言修行の
霊場を訪ねて遣はしをきぬ。
さるほどに、憂かりし年は暮れて、
新たまの春にもなりぬれば、
いよ/\風も折り知り、浪も時
ありて治まれる御代はゆく
末久しく、栄ゆる国のすめ
る恨みを一人残すべきに
あらねば、身づから鳥の跡を
告げつ、かすかに思ふ心を
述ぶといへども、我道の業なれば、
まことのありさまを後素に
表わして同洩らし申す
なるへし。

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