絵巻詞書集

  源氏物語絵巻
東屋・一

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いと、おほかるおほむぐしなれば、とみにも
ほしやりたまはねば、おきゐたまへるも、いと
くるし。ゝろきおほむぞひとかさねばかり
にておはする、ほかげはなやかにて、をかし
げなり。このきみは、ひとのおもふらんことも、はづか
しけれど、いと、やはらかにて、おほどきすぎた
まへるきみにて、おしいでられてゐたまへり。ひ
たゐがみなどの、いたうぬれたるを、もてかくして、
ひのかたにそむきて、ゐたまへるさま、うへを、た
ぐゐなくみたてまつるに、けやおとるともみえず、
あてにをかし。「これに、おぼしうつりなば、さまあし
げなることもありなんかし」「いと、かゝらぬひとを
だに、めづらしき人、をかしがりたまふ御心を」と、ふ
たりばかりぞ、えはぢあへたまはざりける。ものが
たり、いと、なつかしうしたまひて、「れいならぬと
ころなど、なおもひなしたまひそ。めひめぎみの
おはせずなりにしのち、わすらるゝよなきに、いと、
よくおもひよそへらるゝおほむさまをみれば、いと
あはれに、なぐさむ心も、いとあはれになん。おもふ
人は、さらになきみに、むかしのおほむこゝろざし
なきやうにおぼさば、いとうれしくなん」など、か。
たらひたまへば、いと、ものづゝみして、また、ひなびた。
る心のいらへ、きこゆべきこともなくて、「としごろ、
いとはるかにのみ、おもひきこえさせしに。かく、
みたてまつるは、なにごともなぐむこゝちして
なん」とばかり、いと、わかびたるこゑにして、いふ。
ゑなどゝりいでさせたまひて、右近に、ことばよ
ませて、みたまふに、ものはぢも、えしあへず、心
をいれてみたまふに、ほかげ、さらにこそとみゆ
るところなく、こま□に、をかしげなり。ひたゐ
つき、まみの、おほどかにかをりたるこゝちする。
たゞ、おもひいてらるれば、ゑはめもとまらず、
それとのみ、「いと、あはれなるひとのかたちかな。さ
て、かくしも、ありけるならん。こみやの、にたて
まつれるなめりかし。『こひめぎみは、宮のおほ
むかたざまに、我をばうへに、ゝきこえたる』
とこそは、ふるびともいふめりしか。げに、、
たるは、いと、いみじきものなりけり」と、おぼしくら
ぶるに、なみだぐみてみたまふ。「これは、かぎり
なく、あてにけだかきものから、かたはなるまで、
なよびたまへりし。これはまた、もてなしなど
のよろづのことをつゝましとのみおもへる。げ
にや、もてなしなどのみどころあるもて
なしなどぞ、おとれるこゝちする。
【読み下し】
いと、多かる御髪なれば、頓にも
乾しやり給はねば、起き居給へるも、いと
苦し。白き御衣一襲ばかり
にておはする、火影華やかにて、をかし
げなり。この君は、人の思ふらんことも、恥づか
しけれど、いと、柔らかにて、おほどき過ぎ給
へる君にて、おし出でられて居給へり。額
髪などの、いたう濡れたるを、もて隠して、
灯の方に背きて、居給へる様、上を、類
なく見奉るに、気や劣るとも見えず、
貴にをかし。「これに、思し移りなば、様悪し
げなることもありなんかし」「いと、斯からぬ人を
だに、珍しき人、をかしがり給ふ御心を」と、二
人ばかりぞ、え恥ちあへ給はざりける。物語、
いと、懐かしうし給ひて、「例ならぬ所
など、な思ひなし給ひそ。(故)姫君の
御座せずたりにし後、忘らるる世なきに、いと、
よく思ひ寄へらるる御様を見れば、いと
あはれに、慰む心も、いとあはれになん。思ふ
人は、さらに亡き身に、昔の御志
無きやうに思さば、いと嬉しくなん」など、語
らひ給へば、いと、物慎みして、また、鄙びた
る心の応へ、聞こゆべきこともなくて、「年頃、
いと遥かにのみ、思ひ聞こえさせしに。かく
見奉るは、何事も慰む心地して
なん」とばかり、いと若びたる声にして、言ふ。
絵など取り出でさせ給ひて、右近に詞読
ませて、見給ふに、物恥ぢも、えしあへず、心
を入れて見給ふに、火影、更にこそと見ゆ
る所たく、細(か)に、をかしげなり。額
付き、眉の、おほどかに薫りたる心地する。
ただ、思ひ出でらるれば、絵は目も留まらず、
それとのみ、「いと、あはれなる人の容貌かな。さ
て、かくしも、ありけるならん。故宮に、似奉
れるなめりかし。『故姫君は、宮の御
方ざまに、我をば上に、似聞こえたる』
とこそは、古人ども言ふめりしか。実に、似
たるは、いと、いみじき物なりけり」と、思し比
ぶるに、涙ぐみて見給ふ。「これは、限り
なく、貴に気高きものから、かたはなるまで、
萎び給へりし。これはまた、もてなしなど
の万の事を慎しとのみ思へる。実
にや、持て成しなどの見所ある持て
成しなどぞ、劣れる心地する。