絵巻詞書集

 源氏物語絵巻(天理図書館蔵)
第五段

  ← 澪標

第四段 → 


左衛門のめのとゝて、大弐のさしつぎ
におぼいたるがむすめ、大輔の命婦とて
内にさぶらふは、わかむどほりの兵部の
たいふなる、むすめなりけり。いといた
ういろこのめる若人にてありけるを、
君も、めしつかひなどし給。母は筑前
守のめにて、くだりにければ、ちゝ君のも
とをさとにてかよふ。こひたちのみこの
すゑにまうけて、いみじうかなしうか
しづき給し御むすめ、こゝろぼそ
くて、のこりゐたるを、ものゝついでに、か
たりきこえければ、「あはれの事や」とて、
御心とゞめて、とひきゝ給。「心ばえ、かた
□□□□
にきかせよ。ちゝみこの、さやうのかた
は、いとよしづきて、物し給ければ、をし
なべてのてにはあらじ」と思ふと、かたらひ
給。「さやうに、きこしめすばかりには、侍
らずやあらん」といへば、、いたうけしき
ばましや。此比のおぼろ月夜に、忍
てものせむ。まかでよ」と、の給へば、「わづ
らはし」と思へど、うちわたりも、のどやか
なる春のつれ/\に、まかでぬ。ちゝの
たいふの君は、ほかにぞすみける、こゝには、
時々ぞかよひける。命婦は、まゝはゝの
あたりは、すみもつかず、姫君のあた
りをむつびて、こゝにはくるなりけり。
の給しもしるく、いざよひの月をかしき
ほどに、おはしたり。「いと、かたはらいたきわ
ざかな。ものゝねすむべきよのさまにも
侍らざめるに」ときこゆれど、「なを、あなた
にわたりて、たゞ一こゑも、もよをし
きこえよ。むなしくて帰らんが、ねた
かるべきを」との給へば、うちとけたるすみかに
すゑたてまつりて、「うしろめたく、かた
じけなし」とおもへど、しんでんにいり
たれば、まだかうしもさながら、梅の香
をかしきを見いだして、ものし給。「よ
きおりかな」と思ひて、「御ことのね、いかに
まさり侍らん」と、思給へらるゝ夜の
けはひに、さそはれ侍てなん。心あは
たゞしき出入に「えうけ給はらぬこ
そ・くちをしけれ」といへば、「あはれはし□
人こそあなれ。もゝしきにゆきか□
ひとのきくばかりやは」とてめしよす
るも、あいなう、「いかゞきゝ給はん」と
むねつぶる。
【読み下し】
左衛門の乳母とて、大弐の差し次ぎ
に思いたるが女、大輔の命婦とて
内に候ふは、王家統流の兵部の
大輔なる、女なりけり。いといた
う色好める若人にてありけるを
君も・召し使ひなどし給。母は筑前
守の妻にて、下りにければ、父君の許
を里にて通ふ。故常陸の親王の
末儲けて、いみじう愛しうかしず
き給し御女、心細
くて、残り居たるを、物の序に、語
り聞こえければ、「哀れの事や」とて、
御心留めて、問ひ聞き給。「心ばへ、容
□□□□
に聞かせよ。父親王の、左様の方
は、いと由付きて、物し給ければ、押し
並べての手にはあらじ」と思ふと、語らひ
給。「左様に、聞こし召すばかりには、侍
らずやあらん」と言へば、「いたう気色
ばましや。此頃の瀧月夜に、忍
て物せむ。罷でよ」と、の給へば、「煩
はし」と思へど、内裏辺りも、和やか
なる春の徒然に、罷でぬ。父の
大輔の君は、外にぞ住みける、こゝには
時々ぞ通ひける。命婦は、継母の
辺は、住みもつかず、姫君の辺
を睦びて、こゝには来るなりけり。
の給しも著く、十六夜の月をかしき
程に、御座したり。「いと、片腹痛き業
かな。物の音澄むべき夜の様にも
侍らざめるに」と聞こゆれど、「なほ、彼方
に渡りて、唯一声も、催し
聞こえよ。空しく帰らんが、妬
かるべきを」との給へば、打ち舞けたる住処に
据ゑ奉りて、「後めたく、忝
なし」と思へど、寝殿に入り
たれば、まだ格子もさながら、梅の香
をかしきを見出だして、物し給。「良
き折かな」と思ひて、「御琴の音、如何に
優り侍らん」と、思給へらるゝ夜の
気配に誘はれ侍てなん。心慌
しき出入に、「えうけ給はらぬこ
そ、口惜しけれ」と言へば、「哀れは知(る)
人こそあなれ。百敷に行きかふ
人の聞くばかりやは」とて、召し寄す
るも、あいなう、「如何聞き給はん」と、
胸潰る。