絵巻詞書集

 長谷雄草紙
第五段

第四段→ 


かくて三月ばかりありて夜ふけて中納言
内よりいでられける道にありし男きあひ
て車のまへの方より来て君は信こそお
はせざりけれ心にくうこそおもひきこへし
がとて気色あしくなりてたよりに
ちかづきければ中納言心をいたして北野天神
たすけ給へとねむじ侍ける時そらにこゐあ
りてびんなきやつかなたしかにまかりの
けとおほきにいかりてきこえける時男かきけ
つごとくうせにけりこのおとこは朱雀門の鬼
なりけり女といふはもろ/\の死人のよかり
し所どもをとりあつめて人につくりなして
百日すぎなばまことの人になりてたまし
ゐさだまりぬべかりけるをくちをしく契
をわすれてをかしたるゆへにみなとけう
せにけりいかばかりかくやしかりけん

【読み下し】
かくて三月許りありて、夜更けて中納言
内より出でられける道に、ありし男来合ひ
て、車の前の方より来て、「君は信こそお
はせざりけれ。心憎うこそ思ひ聞こへし
が」とて、気色悪しくなりて、ただ寄に
近づきければ、中納言心を致して、「北野天神
助け給へ」と念じ侍ける時、空に声あ
りて、「便なき奴かな。確かに罷り退
け。」と大きに怒りて聞こえける時、男掻き消
つ如く失せにけり。この男は朱雀門の鬼
なりけり。女といふは、諸々の死人の良かり
し所どもを、取り集めて人に作りなして
百日過ぎなば、まことの人になりて、魂
定まりぬべかりけるを、口惜しく契
を忘れて犯したる故に、皆溶け失
せにけり。如何許りか、口惜しかりけん。

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