八月十よひしもつかたなる所にし
のびて人すくなにておはするを殿も
さおぼすなめりと心えたまへどしらず
がほにてわれもわたり給わざとなら
ねど御なをしさしぬきばかりぞ人しれ
ぬあらはれごろもにとさへおぼし
いそぐまことにものぐるをしきことの
さまかなとしる人あらば思きこえ
ぬべしわがもとにおはしそめしをり
こうへの心をつくし給しものをとなに
事につけてもものゝみあはれなりつね
よりもめでたくしてもてまいりたるを
えりてぞたちぬはせ給へどこゝろう
る人なくてかうぞめのすゞしのきぬども
うすくこくうらいろ/\なるをすこし
をしやりてひとへばかりぬぎかけてものに
よりかゝりてゐたまへるこしのほどのすき
たるくれなゐもなべてやしほの色とも
おぼえずめづらしくゆふばへにやいかで
かゝりけむとかぎりある宮たちにて
だにありがたかりぬべきほどかなと
あさましきまでみ給されどもひたぶる
にわれをおもひすつるにはあらじものを
いかにさすがこゝろみだれ給らむいろ
なる心こそなを/\よく思かへすべき事
なれと返/\おもひしられたまふかの
御さうぞくかけをきたまへるを見給へ
とのゝ人しれずおぼす
かさねてもいかゞきるべきむらさきの
ゆかりはわかぬころもなりとも
【読み下し】
八月十、宵、下つ方なる所に、忍
びて、人すくなにておはするを、殿も
「さ、思すなめり」と心得たまへど、知らず
顔にて、われも渡り給。わざとなら
ねど、御直衣、指抜ばかりぞ、「人知れ
ぬ顕はれ衣に」とさへ思し、
急ぐ。まことにもの苦しきことの
様かな」と、知る人あらば、思きこえ
ぬべし。「わがもとに、おはし初めしをり、
故上の心を尽くし給しものを」と、なに
事につけても、ものゝみあはれなり。常
よりも目出たくして、持てまいりたるを、
選りてぞ裁ち縫はせ給へど、心得
る人なくて、香染の生絹の衣ども、
薄く濃く、裏いろ/\なるを、すこし
押しやりて、単衣ばかり、脱ぎかけて、物に
依りかゝりてゐたまへる、腰のほどの透き
たる紅も、なべて八潮の色とも
覚えずめづらしく、夕映へにや「いかで
かゝりけむ」と「限りある宮たちにて
だにありがたかりぬべきほどかな」と、
あさましきまで見給。「されども、ひたぶる
に、われを思ひ捨つるにはあらじものを」、
いかに、さすが心乱れ給らむ。「色
なる心こそ、なを/\、よく思かへすべき事
なれ」と、返/\思ひ知られたまふ。かの
御装束、掛けをきたまへるを、見給へ、
殿の人しれず思す。
かさねても、いかゞ着るべき、むらさきの
縁はわかぬ、衣なりとも