絵巻詞書集

 石山寺縁起
巻一・第一段

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夫石山寺者
聖武皇帝之勅願良弁僧正之草創也
本尊は二辟の如意輸六寸の金銅の像
聖徳太子二生の御本尊云々丈六の
尊像を造て其御身に彼小像をこめた
てまつる左右に脇士あり左は金剛藏王右
は執金剛神なり凡佛法の効験権者
の化儀理常篇にたえ事幽玄に出たり
しかるを殊に当寺の濫觴は本朝の奇
瑞なり所謂本願師資の芳契はるか
に流沙の遠源よりをこり大聖垂跡
の来由たちまちに江州の霊堀をしめ
たまふ藏王のつくるところ黄金を祈て
盧舎那佛の荘厳をそへ古老のかたる
ところ紫雲を尋て比良の明神の施与
を得たりこれを古記に検てみな不朽に
つたふ自忝以降瑜伽上乗の宝林をなし
て登林の茂をあらそひ練行陰徳の士
山にありて泰山のたかきにたくらぶ名一天
にかやく護持の勝利屡あらはれ潤四
海にをよぶ済度の巨益旁ほどこす是以
聖代明時朝家の尊崇他に異なり后掖
仙院官闈の渇仰あさからず或は翠華を
補陁岩の上にめぐらし或は錦帳を忍
照海の傍によそふしかのみならず槐門烝
相の精祈懇棘の露しげくしたて柳営
武将の帰依大樹の風ひさしくあふぐ古より
今に普門の示現やむことなく貴より賎
まで悉地の成就これ新なり惣而六十
二億恒河沙の菩薩の中に観音の功
徳ことにすぐれ三千塵刹娑婆界の衆生
の間に我国の因縁尤深吾国におき
ては当寺の本尊利生方便不思議
甚多是則機感時にかなふ春の万国
にゆくがごとし枯木も花をひらくべし
信心応をまねく月の千江に印するに
似たり滴水にも又影をわかつ倩思此理
弥増欽伏故に且は内証外用値遇の恩
徳を報じたてまつらむがため且はふるき
をたづねてあたらしきをしる将来の見聞
に伝へしめむがために王公卿士より童男
童女にいたるまで平等の法雨普灑て善
根を二世の福田に萌し慕敬礼拝より
一色一香を供するまで無辺の慈雲広
く覆て迎接を九品の浮刹に期するた
ぐひ旧記分明にして証迹掲焉なる其
中に猶うたがはしきを闕てまことをあつ
めしげきを除て要をとる大慈大悲分身
応化の数に擬して三十三段満足所求の
篇をたつ文字其詞を勒す凡聖本へだ
つることなし画図其形をあらはす賢
愚ともに見つべし披閲之処後素の
いたづらなる翫といふことなかれ巻舒之時
すべからく中丹のふかき心を観ずべし
于時ひとり楽浪大津宮に霊験無双の
伽藍あることを記するのみならず
聖化正中の暦王道恢弘し佛家紹隆
せることをしらしめむとなり本願良弁
僧正は前生に行人として舎衛国にいた
らむとおもふ心ざしふかヽりけれど功銭
なきによりて流沙をわたらず悲歎して
日月をヽくるに渡守彼志をあはれみて
行人をわたす時に芳契をなしていはく
功銭なしといへどもすでに汝をわたしぬ
我後世をいのるべしと云々彼恩を報ぜむ
がために君臣となるべしといふちかひふ
かきによりて行人は僧正とむまれ渡守は
天皇とむまれたまふこヽに天平の聖主
東大寺を建立し給て十六丈の金銅の
盧舎那の像を鋳たてまつらんとおぼしめし
けるに我朝に黄金なきによりて僧正に勅
して金峯山にして祈申されける時藏王
夢につげ給はく我山の金は慈尊出世の
時大地にしかむがためなり近江国志賀の郡
水海の岸の南に一の山あり大聖垂迹の地也
彼所にして祈申べしと云々其告によりて僧
正この山にたづね入に一人の老翁いはほの
上にして釣をたれしにあへり僧正尋問て云
汝はなに人ぞや又このところに霊所あり
や答云この山の上に大なるいはほあり八葉の
蓮花のごとし紫雲つねにたなびきて瑞光
しきりにかヾやく観音利生の砌地形勝
絶の境なり我は又当山の地主比良の明神
なりといひてかきけつやうにうせにけり古老伝
云天智天皇の御宇此山にあたりて紫雲
常にかヽれり天皇あやしみて勅使をつか
はしてみせられけるに山の半腹に八葉の巌
石あり奇雲そびきくだりて帯をなせり誠
に大霊垂跡の勝地なりといへりみれば前
に池あり八功徳池の流をうけて弘誓のふ
かきのりをヽしへ後に山あり補堕落山の
かたちをうつして大悲のたかきめぐみ
をあらはすものなり