絵巻詞書集

 石山寺縁起
巻六・第四段

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京極院と申は山階左大臣実雄公の御女
なり亀山院御位の時皇后宮にておはし
ましに文永四年御懐妊の事有しかば
父のおと願書を当寺にまいらせられけり
同年十二月に皇子降誕同五年八月太子
に立給ふ同十一年春正月八歳にて位に
つかせたまふ後宇多院と申は此御事也大かた
此おとはふかく当寺に帰依し給ひしかば観音
も哀愍をたれ給ひけるにや此外の御女も
玄暉門院顕親門院と申てみな天子の国母
にてわたらせ給へば三代の御門此大臣の御
外孫にてなんおはしましけりかやうに子葉
孫枝色/\にさかへ給ふ中山本のおほき
おとは戚里のよせ一朝にをもくせられ
大樹将軍の職をかねて四海儀形の官
にいたり所芸につけても半月のひかりは
正安清暑室の宴に玄上を奏し謁雲の曲
は又風俗催馬楽の誉天下に聞え給き
其御子左のおとは五常のたしきあとを
ふみて聖化をたすけたてまつり三公の次第
をへて公務をつとめ給ふしかのみならずや
まとうたの道うるはしくして代々の勅撰
に御名をかさぬ糸竹の音につけても家々
の庭のをしへ残る所なく周詩の才入木
の芸にいたるまですべて諸道のまなび
諸事に達し給ふことおさ/\上古にも
たぐひすくなくや侍らむ京極院の御産の
儀式も寛元のちかきためしをうつされて
寛弘のむかしの例にもをとり給はずぞ
きこえし凡文永よりこのかた家門ことに
さかへ給ふ事偏に観音の利生方便にや
とぞおぼえはべる