絵巻詞書集

 直幹申文絵詞
第四段

第三段→ 


其後、天徳四年九月廿三日子刻に、大内火いできたりて、
俄中院に御ゆきなりたりけるに、朝々代々の御わたり
もの、御綺子・時簡・玄象・鈴鹿以下、もちて参たりけるに、
叡覧ありて、「直幹が申文はとりいでたりや」と仰ありける
にこそ。先日奏覧の時、御気色あしかりしかば、人/\
をそれたりしに、今御尋こそいみじけれとて、よの人
ありがたき事になん申あひたりける。其時のことぞか
し、火は左衛門の陣よりいできたりければ、内侍所
のおはします温明殿もほどちかゝりけるうへ、如法夜中の
事なりしかば、内侍も女官も参あはずして、賢所を
もいだしたてまつらず。少野宮殿、いそぎまいり賜て、
内侍所をみたてまつらせたまうにわたらせ給はず。世は今
はかうにこそありけれとおぼして、御なみだをながさ
せ給ける程に、南殿のさくらの木のこずゑに御かゞみ
かゝらせ給へり。光明奕赫として、朝の日の山のはをいづる
がごとし。世はいまだうせざりけりとおぼしける。感涙
をさへがたくて、右の御膝をつきて、左の御袖をひろげて
申させ賜けるは、「昔天照御神百王をまぶりたてまつらむ
と御ちかひありけり。そのむねあらたまらずば、神鏡
実頼がそでにやどり給へ」と申給ける。御詞いまだをはらざ
るにとびいり賜へり。御袖につゝみて、太政官の朝所へぞわた
したてまつられけるしこの世にはうけたてまつらんと思よる人
もありがたく、御鏡も入給まじ。上代こそめでたく侍けれ。抑
皇居には、難波・藤原の両宮はむかしの事也。此京に
遷都のゝちは、これぞはじめにて侍ける。

【読み下し】
其後、天徳四年九月廿三日子刻に、大内火出で来たりて、
俄、中院に御幸なりたりけるに、朝々代々の御渡り
物、御綺子、時簡、玄象、鈴鹿以下、持ちて参たりけるに、
叡覧有りて、「直幹が申文は取り出でたりや」と仰ありける
にこそ。先日奏覧の時、御気色悪しかりしかば、人々
懼れたりしに、今御尋こそいみじけれとて、世の人
有り難き事になん申合ひたりける。其時の事ぞか
し。火は左衛門の陣より出で来たりければ、内侍所
の座します温明殿も程近かりける上、如法夜中の
事なりしかば、内侍も女官も参合はずして、賢所を
も出だし奉らず。少野宮殿、急ぎ参り賜て、
内侍所を見奉らせ給うに、渡らせ給はず。「世は、今
は斯うにこそありけれ」と思して、御涙を流さ
せ給ける程に、南殿の桜の木の梢に御鏡
懸からせ給へり。光明奕赫として、朝の日の山の端を出づる
が如し。「世は、未だ失せざりけり」と思しける。感涙
抑へ難くて、右の御膝をつきて、左の御袖を広げて
申させ賜けるは、「昔、天照御神、百王を守り奉らむ
と御誓ひありけり。その旨改まらずば、神鏡
実頼が袖に宿り給へ」と申給ける。御詞未だ終はらざ
るに飛び入り賜へり。御袖に包みて、太政官の朝所へぞ渡
し奉られける。この世には受け奉らんと思寄る人
も有り難く、御鏡も入給まじ。上代こそ目出度く侍けれ。抑々、
皇居には、難波・藤原の両宮は昔の事なり。此京に
遷都の後は、これぞ始めにて侍ける。