絵巻詞書集

  寝覚物語絵巻
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つきいりがたのあけぐれのそら、はる秋の
かすみきりにもおとらぬけしきなる
に、いとおほきなれど、木だちものふり、いた
くあれたる所に、ちりにしはなのこず
ゑどもいとわかやかにあをみわたれるなか
に、松のすゑよりこだかくさきかゝりた
るふぢの、いとなべてならず、もの□□に
おもしろし。すぎにしはるの夢の□□
ひもわすれぬばかりなれば、車おし
とゞめさせてみいるれば、しやうのことの
院には、いといみじくおこなひすまし
ておはしますに、やまのざすまいりたれ
ば、ろくなどをこそあはせたまふことも
かたけれ、法師といへど、さばかりのひとの
わけまいりたれば、人づてなどにもて
なさせたまふべきならねば、「こなたに」と
御前にめして、御ものがたりのどやかにし
たまふ。さるべき法文などゝはせたまふに、
やゝひさしくなれば、御前にひともさぶら
はず。いとものどほきに、なを、□□くうち見
めぐらして、ものうしろめたげに、うちや
すらひて、この御ふみをまいらす。かけて
もおぼしよらず、「たがにか。おもひもよらず、
心ふかき御つかひにも」とて、ひきあけさせ
たまへれば、けしきばみて、こゝかしこ
にかきみだしなどもせず、たゞ、れいのうち
とけぶみのさまにて、
 くらからぬみちにたづねていりしかど
 このよのやみはえこそはるけね
よろしきにおぼしゆるさせたまふべく
は、いかに。あなかしこ。とばかり、すみきえ、
けたえてもあらず、いとくつろかに、うちと
けかゝれたるしも、すみづき、ふでのなが
れ、めもおよばず、かゞやく心地するを、とば
かりうちかたぶきおぼしいづるに、御心の
うちさわぎ、むねつぶ/\となりて、おもひも
かけず、ゆめの心ちせさせたまふに、とば
かりものもおほせられずまもらせたまふ
に、うくあさましくいとひすてゝ、よにめ
づらかに、「このよならずうらめし」と、「あた
りの木草さへ、ねたくうとまし」とおぼ
しめして、身をもなきになしはて
たまひてしなれど、おぼろげなくしみ
かへりにし御心のなごり、いとたけく、よろづ
をおぼしさますとおぼしめせど、楊貴妃
かむざしのえだ許を、ほうらいのやま
よりはるかにへだゝりてまちとりたまへり
けむ御心の中、かくぞありけむとおぼえ
て、人わろく、ほろ/\とこぼれさせたまひ
ぬるを、ざすのみたてまつるもいとはした
なく、おぼしめしかへせど、せきとゞめさせた
まはむかたなし。
【読み下し】
月入り方の明け昏れの空、春秋の
霞霧にも劣らぬ景色なる
に、いと大きなれど、木立ち物旧り、いた
く荒れたる所に、散りにし花の梢
どもいと若やかに青み渡れる中
に、松の末より木高く咲き懸かりた
る藤のいと並べてならず物〔よりこと〕に
面白し。過ぎにし春の夢の〔まど〕
ひも忘れぬばかりなれば、車押し
とどめさせて見入るれば、箏の琴の
院には、いといみじく行なひ澄まし
て御座しますに、山の座主参りたれ
ば、禄などをこそ合はせ給ふ事も
難けれ、法師といへど、さばかりの人の
分け参りたれば、人伝などに持て
成させ給ふべきならねば、「此方に」と
御前に召して、御物語のどやかにし
給ふ。然るべき法文など問はせ給ふに、
稍久しくなれば、御前に人も候
はず。いと物遠きに、猶、□□く打ち見
廻らして、物後ろめたげに、打ち休
らひて、この御文を参らす。かけて
も思し寄らず、「誰がにか。思ひも寄らず、
心深き御使ひにも」とて、引き開けさせ
給へれば、気色ばみて、此処彼処
に書き乱しなどもせず、唯、例の打ち
解け文の様にて、
 暗からぬ道に尋ねて入りしかど
 此の世の闇はえこそ晴るけね
宜しきに思し許させ給ふべく
〈いか〈あなかしこ〈すみ
は、如何に。穴賢。とばかり、墨消え、
気絶えてもあらず、いと寛かに、打ち解
け書かれたるしも、墨づき、筆の流
れ、目も及ばず、輝く心地するを、とば
かり打ち傾き思し出づるに、御心の
中騒ぎ、胸つぶつぶと鳴りて、思ひも
懸けず、夢の心地せさせ給ふに、とば
かり物も仰せられず目守らせ給ふ
に、憂く浅ましく厭ひ捨てて、世に珍
らかに、「此の世たらず恨めし」と、「辺
りの木草さへ、妬たく疎まし」と思
し召して、身をも無きに成し果て
給ひてしなれど、朧気なく泌み
返りにし御心の名残、いと猛く、万
を思し醒すと思し召せど、楊貴妃
簪の枝許を、蓬莱の山
より遥かに隔たりて待ち取り給へり
けむ御心の中、斯くぞありけむと覚え
て、人悪く、ほろほろと零れさせ給ひ
ぬるを、座主の見奉るもいとはした
なく、思し召し返せど、堰止めさせ給
はむ方なし。