絵巻詞書集

  寝覚物語絵巻
第五段

第四段→ 


しのびやかなるさまにて、たそがれのほどに
ぞ、まいりたまへる。ことのよし申ば、われはうち
にて、みすのまへにめしたり。うち御覧ずるに、
むねふたがりて、とばかりものもおほせられ
で。中納言はいともてしづめよういして、いと
いたくかしこまりてさぶらひたまふさまを、
「みざりつる月ごろに、またならびなきにほ
ひそへてけるかな。いみじからむつみ、あや
まち、さらにしるまじや」と、つく/\とまもら
せたまふに、ちゝおとゞにいみじくにたりと
みえながら、いづくぞや、はゝうゑのふとおもひ
いでらるゝこと、猶、あはれにかなしく御覧じて、
そのおりのことも、中々いまさらにくづしとひ、
うらみさせたまふべきならねば、「いまはなに
かは。身をもよをもなきにおもひなしてしかば、
たれにもあひみむかひ、ものなどいふこともな
けれど、さのみおぼつかなくてやは。いくよ
なきよに、うらみのこるやうのあらむも
あぢきなさに」などおほせられて、うちなか
せたまへる御けしきに、中納言もえしのばれ
ず。いまさらにかけても、「なぞやかけし」とお
ぼしめさるれど、なを、いと人わろく、「ざすして、一日
か、御せうそくきこゆる心地せしは、たしかな
るなめりな」とゝはせたまふ。「しかさぶらふめ
りき」とて、みすのもとちかくまいりよりて、
ふところより、この御ふみをひきいでゝまいら
せたり。とばかり御らむずるなるべし。いたく
御こゑうちかはりて、「あらぬさまにかはりたま
ひにけるは、いかに。おとゞのゆるしきこえら
れしか」とばかり、とはせたまふ。「そのほどに、われも
とかくのべますべきならねば。とてもかくて
もつみさりますべきかたなければ、おとゞに
しられでものせられはてつ。『猶、うつしざま
にて世にあらむこと、われながらうとましく
おぼゆる。むかしよりのほいあるを』とてなむ」と
許申せば、「げに、このよのゑい花にのみまと
はれては、おとこも女もいくよなきよをす
ぎなむこと、あぢきなかるべきことぞかし」と
ばかり、いとおほよそなるさまにおほせられて、
「いかにぞやみえし御ありさまは、いかゞなりに
けむ。そのおぼつかなさなど、いまはたづね□
らでもありぬべく、あぢきなきことなれ
ども、さる心にはありける」とて、えこゝろつ
よがりはてたまはず、なかせたまひぬる、
いみじくいとをしくおぼゆれど、「女にて、
たいらかにおはすめれど、いかでかは。ある
かなきかにかくろへたるさまになむ」と
まうす。「あはれ」とながやかにおほせられ
て、「われもひともあぢきなかりける□
とかな」とて、いひおもひても、またをしか
へし、「たゞ、さばかりのちぎり、のがれがた
くこそはものしたまひけめ。よろづ
のこと、さるべきなり。ゆめなどのやうにおもひ
ないてやみなむ。さばかりもいぶせさあ
きらめざらんは、心とまりぬべくおぼ
えつるに」とおほせらる。
【読み下し】
忍びやかなる様にて、黄昏の程に
ぞ、参り給へる。事の由申せば、我は内
にて、御簾の前に召したり。打ち御覧ずるに、
胸塞がりて、とばかり物も仰せられ
で。中納言はいと持て鎮め用意して、いと
いたく畏まりて候ひ給ふ様を、
「見ざりつる月頃に、また並びなき匂
ひ添へてけるかな。いみじからむ罪、過ち、
さらに知るまじや」と、つくづくと目守ら
せ給ふに、父大臣にいみじく似たりと
見えながら、何処ぞや、母上のふと思ひ
出でらるる事、猶、哀れに悲しく御覧じて、
其の折の事も、中々今更に崩し問ひ、
恨みさせ給ふべきならねば、「今は何
かは。身をも世をも無きに思ひ做してしかば、
誰にも相見向かひ、物など言ふ事も無
けれど、さのみ覚束なくてやは。幾代
なき世に、恨み残る様のあらむも
味気なさに」など仰せられて、打ち泣か
せ給へる御気色に、中納言もえ忍ばれ
ず。今更に懸けても、「なぞや懸けし」と思
し召さるれど、猶、いと人悪く、「座主して、一日
か、御消息聞ゆる心地せしは、確かな
るなめりな」と問はせ給ふ。「しか候ふめ
りき」とて、御簾の下近く参り寄りて、
懐より、この御文を引き出でて参ら
せたり。とばかり御覧ずるなるべし。いたく
御声打ち変はりて、「あらぬ様に変はり給
ひにけるは、如何に。大臣の許し聞えら
れしか」とばかり、問はせ給ふ。「其の程に、我も
とかく延べ申すべきならねば。とてもかくて
も罪去りますべき方なければ、大臣に
知られで物せられ果てつ。『猶、現し様
にて世にあらむ事、我ながら疎ましく
覚ゆる。昔よりの本意あるを』とてなむ」と
許申せば、「実に、此の世の栄花にのみ纏
はれては、男も女も幾代なき世を過
ぎなむ事、味気なかるべき事ぞかし」と
ばかり、いと凡そなる様に仰せられて、
「何処にぞや見えし御有様は、如何なりに
けむ。その覚束なさなど、今は尋ね〔寄〕
らでもありぬべく、味気なき事たれ
ども、然る心にはありける」とて、え心強
がり果て給はず、泣かせ給ひぬる、
いみじく愛しく覚ゆれど、「女にて、
平らかに御座すめれど、争かは。有る
か無きかに隠へたる様になむ」と
申す。「あはれ」と長やかに仰せられ
て、「我も人も味気なかりける〔こ〕
とかな」とて、言ひ思ひても、また押し返
し、「唯、然ばかりの契り、遁れ難
の事、さるべきなり。夢などの様に思ひ
倣いて止みたむ。さばかりもいぶせさ明
らめざらんは、心留りぬべく覚
えつるに」と仰せらる。