絵巻詞書集

 住吉物語絵巻
第三段

第二段→ 


乳母いよ/\なやみまさりて、五月のすゑにはかなく
なりにけり。姫公・侍従が思、さこそありけめ。姫公は
乳母の思のうへに、侍従がなげき思やり、侍従は母の
悲のかたはらにも、姫公のつれ/\を、こゝろぐるしく
なげきながら、のち/\のわざ、こま/\といとなみ
けり。はての日、姫公のつねにき給へるうちぎ、
ひとかさね、侍従がもとへつかはすとて、
 からころもしでのやまぢをたづねつゝ
 われはぐゝみし袖をしらなむ
とつまにかきつけて、つかはし給へば、侍従これをみて、
かほにひきあてゝ、人めもつゝまず、いひやりたる
かたなく、なきかなしみけり。さて、とかくいとなみ
はてゝ、七月十日あまりに、姫公のもとにゆきたれば、
初秋の月いとものあはれなる夜、はしちかくいで
ゐつゝ、よのなかのはかなくあはれなることも、き
こゑあはせて、なきゐたるを、少将たちきゝて、あ
はれさかぎりなかりければ、侍従にとぶらひをも
いはんとて、うちたゝき給ければ、侍従、少将なりみて、
いであひてきこゆるやう、もの思はくるしきものとは、
この程こそ思しりて侍れなどいへば、少将さこそは、
おぼしけめ。あなあはれなどいひかはすほどに、さよも
なかばすぎて、かねのをとのきこゑければ、侍従、な
にとなく暁の鐘のをとこそきこゆなれと
いへば、少将、これをいりあひと思はましかばと、うち
ながめ給けり。姫公も、いと「あはれとき、給けり。
さて、よもあけにければ、少将かへり給ぬ。
【読み下し】
乳母いよ/\悩み勝りて、五月の末に果なく
なりにけり。姫公・侍従が思ひ、さこそありけめ。姫公は
乳母の思ひの上に、侍従が嘆き思ひ遣り、侍従は母の
悲しみの傍らにも、姫公の徒然を、心苦しく
。嘆きながら、後々の業、細々と営み
けり。果ての日、姫公の常に着給へる袿
一襲、侍従が許へ遣はすとて、
 唐衣死出の山路を尋ねつゝ
 我育みし袖を知らなむ
と褄に書き付けて、遣はし給へば、侍従これを見て、
顔に引き当てゝ、人目も包まず、言ひ遣りたる
方なく、泣き悲しみけり。さて、とかく営み
果てゝ、七月十日余りに、姫公の許に行きたれば、
初秋の月いと物哀れなる夜、階近く出で
居つゝ、世の中の果なく哀れなることも、聞
こゑ合はせて、泣き居たるを、少将立ち聞きて、哀
れさ限りなかりければ、侍従に弔ひをも
言はんとて、打ち叩き給ひければ、侍従、少将なりと見て、
出で会ひて聞こゆる様、「物思ふは苦しきものとは、
この程こそ思ひ知りて侍れ」など言へば、少将さこそは、
思しけめ。「あな哀れ」など言ひ交はす程に、小夜も
半ば過ぎて、鐘の音の聞こゑければ、侍従、「何
となく暁の鐘の音こそ聞こゆなれ」と
言へば、少将、「これを入相と思はましかば」と、打ち
眺め給ひけり。姫公も、いと哀れと聞き給ひけり。
さて、夜も明けにければ、少将帰り給ひぬ。